マンション売却と電子契約|売主が承諾する書面と印紙税
2026年9月1日

「契約はオンラインでできますよ」と仲介会社から言われて、何がどう変わるのかピンとこないまま話が進んでいく——マンションの売却では、いまこの場面がよく起きます。2022年(令和4年)5月18日から、不動産取引で交わす書面は電子でやり取りできるようになりました。施行からすでに4年が過ぎ、国土交通省の実施マニュアルも令和6年12月に改訂されています。
ただ、この話題の記事はほとんどが「IT重説(オンラインでの重要事項説明)」を中心に書かれています。重要事項説明を受けるのは買主であって、売主ではありません。売主に回ってくるのは別の書面で、承諾するかどうかも売主自身が決めます。この記事では、売主の手元に何が届き、どこで判断が要り、手取りにいくら効くのかを、国土交通省と国税庁の資料に沿って整理します。
売主が電子で受け取るのは、重要事項説明書ではない
宅地建物取引業法で電子化できるようになった書面は3種類(+1)あります。国土交通省の実施マニュアル(令和6年12月版)は、それぞれ誰から承諾を得るのかを書面ごとに分けて示しています。売買を仲介で進める場合、こうなります。
| 書面 | 売主との関係 | 電子化を承諾する人 | 電子書面の要件 |
|---|---|---|---|
| 媒介契約書 (34条の2書面) | 売主が受け取る/契約締結後に遅滞なく | 売主(媒介の依頼者) | 改変防止措置あり。宅建士の記名は不要 |
| レインズ登録を証する書面 (34条の2第12項) | 売主が受け取る/登録後に遅滞なく | 売主(媒介の依頼者) | 記名・改変防止措置とも不要 |
| 重要事項説明書 (35条書面) | 売主は受け取らない/説明の前に買主へ | 買主(取得しようとする者) | 宅建士の記名+改変防止措置 |
| 契約締結時書面 (37条書面) | 売主も受け取る/契約成立後に遅滞なく | 契約の各当事者=売主と買主 | 宅建士の記名+改変防止措置 |
売買契約書を37条書面と兼ねる形で交わすのが実務では一般的なので、売主が電子で扱うことになるのは「媒介契約書」「レインズの登録証明書」「売買契約書」の3つと考えておけば、ほぼ外れません。重要事項説明書は買主の側の書類です。IT重説の解説をいくら読んでも自分の手続きが見えてこないのは、そもそも読む場所が違っているからです。
承諾がなければ、電子にはならない
電子での提供には受け取る側の承諾が必要で、承諾を得る方法は、紙の書面・電子メール等・Webページ上での取得・CD-ROMやUSBメモリ等の受領のいずれかです。FAQでは、LINEなどのSNSを使うことも「機能次第で可能」とされていますが、一時的に画面へ表示されるだけのスクリーンショットのようなものは不可で、業者側が紙に出力できる形で残せることが条件になります。
逆にいえば、売主が何も承諾していないのに電子書面だけが送られてくることはありません。「メールでPDFが届いたが承諾した覚えがない」という状態は、手続きのどこかが飛んでいます。その場で仲介会社に確認してください。
電子にすると、印紙税だけは確実に消える
売主にとって金額としてはっきり効くのは印紙税です。国税庁は質疑応答事例で、印紙税の課税対象となるのは課税物件表に掲げられた「文書」であり、電磁的記録は文書に含まれないという考え方を示しています。契約書をPDFで取り交わす限り、印紙は不要です。
紙で作った場合の税額は、不動産の譲渡に関する契約書の軽減措置(平成26年4月1日から令和9年3月31日まで作成分・記載金額10万円超が対象)によって次のようになります。

3,000万円で売るなら1万円、6,000万円なら3万円。仲介手数料と比べれば小さな額ですが、手取りから確実に引かれる支出が、契約の形式を変えるだけでゼロになります。売却にかかる費用の全体像はマンション売却の諸費用・税金で整理しています。
紙なら2通、電子なら0通
売買契約書は売主と買主が1通ずつ持つのが一般的です。国税庁は「一つの契約について2通以上の文書が作成された場合であっても、その全部の文書がそれぞれ契約の成立を証明する目的で作成されたものであれば、すべて印紙税の課税対象となる」としています。2通作れば2通分の印紙が必要で、通常は各自が自分の1通分を負担します。電子ならこれが双方ともなくなるので、取引全体では倍の金額が消えている計算になります。
「あとで紙も1部ください」で、課税が戻ってくる
ここが見落とされやすいところです。国税局の文書回答事例では、電子メールで送信したあとに現物を別途持参するなどの方法で相手方に交付した場合には、課税文書の作成に該当し、その紙に印紙税が課されるとされています。「電子で済ませたけれど、やっぱり紙も欲しい」と頼んで製本した1部を受け取ると、そこで印紙が必要になります。
一方、自分の控えとしてPDFをプリントアウトするだけなら課税されません。国税庁は「ファックスや電子メール等により送信する場合も正本等は送付元に保存され、送付先に交付されておらず、送付先で出力された文書は写しと同様であり、課税対象とはなりません」と明記しています。紙が欲しいなら、交付を受けるのではなく自分で印刷する——この違いだけ覚えておけば十分です。
承諾書で売主が実際に決めているのは、4つのこと
国土交通省は令和6年12月に「承諾取得例」という様式のひな形を公開しました。法定様式ではありませんし、署名や押印を求める定めもありませんが、仲介会社から出てくる承諾書はおおむねこの形です。売主が判断しているのは次の4点です。
- どの物件か——所在に加えて、マンションなら建物の番号(号室)まで特定します。将来の取引をまとめて承諾させるような、物件を特定しない包括的な承諾は認められていません。
- どの書面を電子にするか——媒介契約書/レインズ登録証明書/重要事項説明書/契約締結時書面のチェックボックス方式です。「媒介契約書は電子、売買契約書は紙」と分けて選べます。書面の種類が特定されていれば、まとめて一度に承諾することもできます。
- どうやって渡すか——メール/Webページからのダウンロード/記録媒体の交付の別と、ファイル形式(記載例はPDF)。ここが後から変わる場合は、承諾を取り直す必要があります。
- 撤回するときの方法——書面・メール等・Webページ・記録媒体の4通りが承諾書自体に書かれています。
承諾書の前文には、機器や回線のトラブルが起きたときに業者が紙で提供することを妨げない旨と、いつでも撤回できる旨が書かれています。この2行があるかどうかは、目を通しておく価値があります。
「やっぱり紙で」は、いつでも言える
一度承諾したら最後まで電子で通さなければならない、ということはありません。マニュアルは、承諾した人が拒否を申し出た場合について「電磁的方法による提供をしてはいけません」と業者側の義務として書いています。FAQでは、口頭での申し出でも紙に切り替えられるとされています(記録に残る方法が望ましい、という前提付きです)。電子書面が開けない、文字化けするといったトラブルが解消しない場合も、電子での提供は中止して紙に切り替えることになります。
逆の方向もあります。売主が電子を希望しても、仲介会社が断ることはできます。FAQは「必ず実施しなければいけないということはありません」と明記していて、業者は自社のIT環境や案件の特性を踏まえて可否を判断してよいことになっています。電子契約に対応しているかどうかは会社によって差があるので、条件として重視するなら媒介契約を結ぶ前に確認しておくのが順序です。
もうひとつ、国交省のハンディガイドは留意点として「原則、取引に関わる全員が電子書面を利用する必要がある」と書いています。売主が電子を望んでも、買主が紙を選べば売買契約書は紙で進むと考えておいたほうが現実的です。印紙税の節約を当て込んで動くようなものではありません。
受け取ったあとの保存は、宅建業法の外にある
ここが売主にとって一番の落とし穴です。FAQは「宅建業法上、電子書面の保存についての規定はございません」とはっきり書いています。つまり、届いたPDFを保管するのは完全に自分の責任です。紙の契約書ならファイルに綴じて押し入れに入れておけば10年後も出てきますが、メールの添付ファイルは数年で行方不明になります。
その契約書、確定申告で出番があります
マンションを売って利益が出れば、翌年に譲渡所得の確定申告をします。このとき売買契約書の写しが必須の添付書類になるかどうかは、使う特例によって変わります。国税庁の添付書類チェックシートで確認すると、次のとおりです。
- 居住用財産の3,000万円特別控除(措法35条1項)……必須の添付書類は譲渡所得の内訳書と、住所が異なる場合の戸籍の附票の写しなど。売買契約書の写しは必須ではありません。
- 特定の居住用財産の買換えの特例(措法36条の2)、被相続人の居住用財産=空き家特例(措法35条3項)……譲渡価額が1億円以下であることを明らかにするものとして、売買契約書の写しが必須です。
- 譲渡損失の損益通算・繰越控除(措法41条の5、41条の5の2)……売却した居住用財産の登記事項証明書や売買契約書の写しなどが必要です。
そして3,000万円控除の場合でも、チェックシートには「申告内容を確認するため、添付いただいた書類以外の書類(譲渡資産等の取得及び譲渡に係る売買契約書や譲渡費用等の領収書など)について、税務署から別途提示・提出を求める場合があります」と注記があります。添付が不要なだけで、手元に無くてよいわけではありません。取得費を証明する買ったときの契約書も同様です。譲渡所得の計算そのものはマンション売却と確定申告で解説しています。
スマホだけで受け取ると、改ざんの確認ができないことがある
電子書面には「改変されていないかどうかを確認できる措置」が必要で、現時点で国土交通省が確認できているのは電子署名とタイムスタンプだとFAQに書かれています。ところがマニュアルは、スマートフォンの閲覧アプリによっては署名パネルでの確認ができない可能性があるため、なるべくパソコンに保存するよう推奨すべきだとしています。
電子署名やタイムスタンプには有効期間があり、期間後の取扱いは事前に協議しておくのが望ましい、とも書かれています。売却から数年後に契約書を開いて「この署名は検証できません」と表示される可能性があるということです。だからこそ、PDFをパソコンに保存し、必要なら紙にも印刷して二重に持っておく——マニュアル自身が推奨しているのがこの形です(自分で印刷した写しに印紙は要りません)。
ダウンロード期限が切れると「受け取っていない」ことになる
Webページからのダウンロード形式には期限を設けることができます。FAQは、期限までにダウンロードされなかった場合には電子書面を提供したことにならないとしています。ダウンロードのリンクを送っただけ、画面共有で見せただけも「提供」には当たりません。案内メールが来たらその日のうちに落として保存するのが、いちばん確実です。
電子化しても、消えない手順と消える手順
売買では犯罪収益移転防止法に基づく本人確認が必要ですが、FAQはこれを非対面で実施可能としています。重要事項説明や書面交付の実施場所にも制約はありません。遠方に住んでいる、相続で取得した部屋を現地に行かずに売りたい、といった場面では実際に来店回数が減ります。
一方で、売買契約書に売主・買主が押印する慣行そのものは、この制度の対象外です。マニュアルは冒頭で、宅建業法に根拠のない民間の取引慣行による押印行為の取扱いは含まない、と断っています。決済・引渡しの当日に司法書士へ渡す実印と印鑑証明書、登記の手続き、鍵と管理規約の引渡しは別の話として残ります。「電子契約=すべてオンラインで完結」ではありません。どこまでが非対面になるのかは、媒介契約の前に仲介会社へ具体的に聞いてください。
電子化の話が出たときに、売主から返ってくる問い
媒介契約書だけ電子にして、売買契約書は紙にできますか。
できます。承諾は書面ごとに対象を特定して行うもので、承諾書のチェックボックスも書面ごとに分かれています。まとめて一度に承諾することも可能ですが、その場合も対象の書面が明示的に特定されている必要があります。
電子契約にすると、仲介手数料も安くなりますか。
いいえ。仲介会社が受け取れる報酬の上限は国土交通省の告示で定められていて、書面が紙か電子かでは変わりません。電子化で確実に減るのは印紙税だけと考えてください。
「承諾します」とLINEで返信するだけで有効ですか。
SNSの機能次第で可能とされていますが、メッセージやフォームの内容が紙に出力できる形で残せることが条件です。一時的に画面に表示されるだけのスクリーンショットのようなものは認められません。実務では、承諾書のPDFに記入してメールで返す形が無難です。
いったん電子で承諾したあと、紙に戻したら印紙はどうなりますか。
紙で契約書を作成して取り交わした時点で、その紙は課税文書になります。軽減後の税額どおりの印紙が必要です。電子で送られたあとに紙の現物を交付された場合も同じ扱いになります。
受け取ったPDFは、いつまで保存しておけばよいですか。
宅建業法には保存期間の定めがありません。ただし譲渡所得の申告と、その後の税務署からの問い合わせに備える必要があるため、少なくとも申告の翌年以降も数年は確実に取り出せる状態にしておくのが実務的です。買ったときの契約書は、次にその物件を売る人(=相続人)が取得費を証明するために使うこともあります。
電子にするかどうかより、手元に残るかどうか
書面の電子化は、売主にとって「印紙税が消える」「来店が減る」という分かりやすい利点があります。一方で、紙なら自動的に手元へ残っていた契約書が、意識して保存しなければ消えるものに変わりました。承諾するかどうかを決めるとき、費用の話と同じ重さで考えておきたいのはこの点です。
売却の話が動き出したら、①仲介会社が電子契約に対応しているか、②どの書面を電子にするか、③受け取ったPDFをどこに保存するか——この3つを、媒介契約を結ぶ前に決めておいてください。制度は年に一度は運用が見直されているため、最新の取扱いは国土交通省の公表資料と、依頼する仲介会社にご確認ください。








